「眼鏡のない上条春菜」を考える

さていきなりですが、定期的に湧き上がる議論のお題として、 「キャラクターのテンプレネタの是非」というものがあります。 そしてこれと似た様な話に「○○でない△△は△△じゃない」というものがあります。

「リボンのない春香は春香じゃない」
「胸のある千早は千早じゃない」
「エビフライ型おさげじゃない律子は律子じゃない」
「もやしが好きじゃないやよいはやよいじゃない」
「雪歩を『萩原さん』と呼ばない千早は千早じゃない」

例を上げるとこう言った類のですね。
中には上の律子とか「姉じゃない亜美」とか、
「アイドルになったきっかけがうたのおねえさんじゃない春香」とか、
公式が直々にやっちゃたようなようなのもあります。

個人的にはこういったのは知識やら愛やらの問題というよりかは
「キャラを何によって認識するか」
の差異の問題ではないかと考えています。

「胸のある千早は千早じゃない」という例をとってみれば、 長髪のあずささんと千早の区別を胸の大きさでしている人がいるとすれば、 「胸のある千早は千早じゃない(というかあずささん)」という結果になります。

「歌こそが千早を千早たらしめる」と考えている人にとってみれば、 「歌に真摯な千早がいれば、胸の大小など些細な問題でしかない」となるでしょう。

「歌しか興味ないのに胸にはコンプレックスを持つちーちゃんかわいい」という人にとってみれば、 やはり「胸のある(胸へのコンプレックスのない)千早は千早じゃない」という結果になります。

まあ結論からすると、 「人それぞれだよね。」 って話に落ち着くわけですが、 ここでもう一つ踏み込んでみましょう。 「個性とされているものをなくすことは個性の消失を意味するのか否や」

うん。自分でわけわかりません。 なぜなら先日インフルエンザで高熱出している中で考えた話だからです。 でもせっかくのblogの更新ネタなんで、ちょっとグダグダと書いてみようと思いますのでよければお付き合いください。 あと、別にSSを書くわけではなく、大仰な分析をするわけでもなく、完全な思考のお遊びである点は予めご了承の程。
要は「○○じゃない△△は△△じゃない」に対して、
「□□な△△も公式であるよ」って言うカタチだけじゃなくて
「○○に基づいた○○じゃない△△」を提示するカタチを考えよう的な感じで。


さて、まず具体的なテーマですが、 「眼鏡のない上条春菜」とはなんぞや。 にしてみようと思います。「眼鏡がない」なら律子でもいいし、 上記の「胸のある千早」でもいいのですが、 諸事情により問題が複雑化するので上条さんのままで行きます。

さて、一口に「眼鏡のない上条春菜」と書いた所でその切り口はあまりに多様。 ざっと例を上げてみたところで、

「スペアのスペアのスペアのスペアにいたるまですべての眼鏡を失った上条」
「何らかの理由で眼鏡なしを強要された上条」
「寝起きの上条」
「実は変装時は眼鏡を外す上条」etc..

と割ときりがない。 なんでまず「眼鏡のない上条春菜」の定義をこう決めてみる。 「上条春菜がメガキチでなかったら」 うむ。自分で書いてて難易度高いな。これ。

なくすにはなくすものが何かを把握しなければいけません。 ということで、そもそも「上条春菜のメガキチとはなんぞや」という部分を考えてみましょう。

アイプロの台詞ではっきりとでは無いですが、 「眼鏡との出会いが上条さんを明るい女の子に変えた」と解釈できる台詞が存在します。 つまり彼女の眼鏡信仰は、眼鏡は勉強が出来る子のアイコンとかでも、リミッターでも、 ニッチ層を狙うための道具でもなく、彼女を変えてくれた「眼鏡そのもの」あるいは「眼鏡が与えてくれた体験」に対する信仰である事が伺えます。
その辺は別に上記の台詞でなくとも、ダブル眼鏡をマジでやるところや、「伊達眼鏡と真・眼鏡を差別しない」と発言していたり、他のアイドルに当たり構わず眼鏡を配ってかけさせたりといったあたりにも現れています。

さて、他にもいろいろ考察すべきところはありますが、あんまり長々と書くわけにも行かないので、 さくっと、ここから上条さんをメガキチではなくしてしまいましょう。 「眼鏡に出会っていなかったら」 性格を明るく変えてくれた眼鏡との出会いがなかった、……つまりは性格の暗いままの上条さんがここに誕生します。 「眼鏡をかけても性格明るくならなかった」という派生もここです。

さて、ここだけなら結論としてはおもしろくありません。

では、眼鏡という個性のない上条さんはダメなのかというとそもそも他に個性がないわけではありません。 眼鏡以外にも上条さんには猫やお茶が好きという側面があります。 ここを出すことで上条さんが「猫やお茶が好き」という認識がある人には有効。 でも別の個性を引っ張ってくるという手法は普通で特に書いてもおもしろくないし、 意外と紙面も取るのでとりあえず置いておきましょう。

ではメガキチでない上条さんにさらに他の発展性はないのかというと、実はそんな事はありません。

なぜなら、上記は上条さんがメガキチになるきっかけを取り去っただけで、 メガキチになる性格的素地は取り去っていないからです。 つまり「自分を変えてくれたモノに対して異常なまでに崇拝してしまう」性格には変わりはありません。 (そうでなくとも実は上条さん猫好きも割と行っちゃってたりと、好きなものに対するのめりこみっぷりは相当のものです……)

さて個人的に、ようやくおもしろくなってきました。 要は眼鏡以外のカタチで上条さんを変えてあげればいいのです。

ではまずこれから行きましょう。 「1.眼鏡より先にコンタクトレンズに出会っていたら」 眼鏡が彼女を変えた主要因が視力の改善であったとすれば、別に眼鏡でなくともコンタクトレンズであってもいいはずです。 「いや、普通最初は眼鏡だろ」という気もしないでもありませんが、とりあえず置いておきましょう。

もっとも、結論から言うと個人的には微妙ですね。これ。
まずカタチとしてコンタクトレンズは崇拝の対象として弱いと思うのです。根拠ないけどw。
また、今の上条さんは前記の伊達眼鏡非差別発言を見ても分かる通り、 むしろ眼鏡の視力矯正以外の要素を猛プッシュしていますので、その点でもコンタクト崇拝案は説得力が弱い。

懲りずに次に行ってみましょう。 「2.プロデューサー」 2つ目にしていきなりアイドルマスターらしい王道です。 アイドル活動によって性格を変えるという所ではお茶好きな所も含めて、雪歩に通じなくもない部分があります。 そして自分を変えてくれたプロデューサーに対して異常なまでの執着を見せるのです。 その姿は果たして美希なのかまゆゆなのかあるいは彼女達すら超えるのか。考えてみると面白そうですね。

さらに少し「なかなP」っぽくニュアンスを変えてみましょう。 「3.アイドル」 「暗い性格だった上条春菜がある日テレビで見つけたものは眼鏡アイドル『秋月律子』だった。」
おお、なんかちょっと熱い感じになってきませんか? ここでアイドル候補生にさせて上の2のルートに乗っけてもいいし、 アイドルにさせないまま性格を改善して「アイドル」あるいは「律子」に対して崇拝をもたせるのもいい。 「私、自分を変えてくれた『アイドル』になりたいんです!」

さて、いい感じになりました。 こうして出来た「メガキチではない上条春菜」は自分の中では間違いなく「上条春菜」ですが、 他の人にも「上条春菜」として認識されるかというと、 無条件にというわけには行かないと思います。

なにせ既存の情報を元に新たな個性を創りだしたに近いわけですから、 これをノベマスでやるとすると、結局上でやってきた思考の流れをお話の中で自然にやらないといけません。 「眼鏡」「メガキチ」であることで上条春菜を認識していた視聴者には少なからず「考える」事を要求します。 そのコストを払ってもらえるだけの期待感が居るんじゃないかなーと。そりゃ難しい。

でも逆に言えば「視聴者に考えさせる」ってのは心に残る作品の大きな要素じゃないかと考えています。 だからこそこういうネタはチャレンジし甲斐のある物だと思うのですよね。
公式設定を並べてどーだってやるだけじゃ結局薀蓄並べただけの設定資料集を超えませんから。 キャラ設定の知識だけがキャラを形作る全てではない。むしろより特徴的な所を如何に展開し活かしていくかなんじゃないかなーと。

そうでなくても、菜緒さんのような非常に情報の少ないキャラでお話を作る場合、 あるいは尺的に多くの設定を出せない短編では有用な手段であると思っています。というか自分のお話の作り方はわりとこんな感じだったりします。

さて、思考のお遊びの割に文章が長くなってきたので(というか見返すと支離破滅な文章だなー)、 そろそろ終わりにしようと思いますが、最後にひとつ。

こういう事はニコマスでも自分が今更言うまでもなく行われてきたわけです。 というか行われてきたからこそ、自分でもこんな文章を書けているわけで。 わかりやすい例を挙げるならハリアーPの響あたりはこんな感じかなーと。

そしてこれを書いててふと思い当たったのは「春香」。 無個性と言われた時代からアニマスにおける春香に至るまで。 ギャグからシリアスに至るまで「春香とはなんぞや」を今も無意識あるいは意識的に追い求め再生産を繰り返している。 だからこそ今があり今自分がここにいるのだなぁ。そんな気が改めてしています。

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