壊れなかった人達のコワレタ心

自分の心がどーのこーのなんてのはあんまりこーゆー所に書くものではないとは思ってるし、それにここってお気楽なサイトだし、なにより恥ずかしいったらありゃしないのではあるが、筆無精の私が毎日ではないとはいえ、せっかく日記を書いているのだから、後で読み返す時の事を考えるとたまにはこういう重い事を書いとかないともったいないかもしれない・・・と思ったのでちょこっと書いてみる。

今日の話ではなくて2ヶ月くらい前のある新聞のコラムかなんかの話。阪神淡路大震災の時、ある人はあの惨状に対していろいろ感じ出したのは数日後だったという、震災で家を壊されなかった人達も実は心を壊されていた・・・という趣旨の話。

私の場合、神戸とは言っても被害の軽微だった地域に住んでいた。幸運にも友人・知人も無事だった。しかし、地震の時一応飛び起きる程の揺れを体験し、そしてなにより、7年間学校に通い、そのうちの1年半は住んだ事もある街の変わり果てた姿に対して、あの時の私は何を感じ何を思ったのだろう・・・とあの時の事を思い返してみると・・・あれだけの事にもかかわらず自分の中残っている記憶が少ないような気がしてならない事に気づく。4年の歳月・・・と一言ではすまされないだけの・・・。あの時、入院とか受験とかいっぺんにどたばたが来て、なんだかんだ言って自分の目先の事が大事だったのかもしれない。でもこのコラム見て思った。あの時私の何かが壊れていたのかもしれない。目と心の間がどこかで切れていたのかもしれないと。・・・しかし世の中結果である。あの震災は私の中で自分でもおかしいと思いつつも「ひけ目」として存在している。そしてその感情をいまだに行動にうつせない自分に対してまたひけ目を感じ・・・とまったくもってきりがない。ま、これはこれからの自分自身の問題ではあるが、ふとあの震災が私に残したものの中で一番最後まで残るのがこの「ひけ目」なのかもと思ったりもするのである。まあ、なんにせよあの震災は私の中でおそらく一生忘れ得ぬ事には違いない。

震災の後・・・何度もあの街に行く機会があった。そしていつものようにかばんの中にはカメラが入っていた。でも・・・撮れなかった。結局、震災を物語る写真は大阪駅で撮った住吉行の列車の写真2枚だけ。この事は記憶の光景をちょっぴり速く風化させ、あの時の私の気持ちをちょっぴり強く今に残しているのかも。

・・・なんて考えてみたりする。やっぱ、文章むちゃくちゃやん。

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