タラPのノベマス講座に乗じていろいろと

ちょっとノベマスの話を書こうとしていた所にちょうどガルシアPのblogでこの動画が話題となっていたので乗っかってみるよ!

まず、 あれ?なかなPってノベマスPだったっけ? ってツッコミが来そうな気もしますが……いやこんなblogにまで来ている人なら、大丈夫……なはず。 まあ、その話は後でするとしてとりあえず感想。 だいたい自分と一致。 あ、終わっちゃったよw

まあ、それだけではなんなので、 以前から自分の思っていることをつらつらと。


好きなことを自由に。 早い話、介党鱈Pの動画の最大のポイントも自分の思うこともここだと思います。

法やら公序良俗といった話はまた別のお話としても、 技術としてこれは避けたほうがよいやらこうした方がよいという物はあるでしょう。 ただ、それは「好きなことを自由に」という前提の上に成り立つという事は意識しておいた方がいいじゃないかなと。

場合によっては「稼ぐ作品を作る機械」である事すら要求されるプロ、あるいはそれを目指す人となると話はまた変わりますが、 趣味として「同人として」の創作活動の場合はそこだと思うわけです。 なぜなら、数にがんじがらめの公式を含むプロに出来ない事を出来るのが趣味でする者の特権だからです。 そしてそれが自分の「好き」に忠実である程、それがニッチである程、同志がいた場合の嬉しさってのは増すと思うのです。

(もっとも、自分の好きじゃない物を作って自分で好きと思える作品を作るのは困難ではありますが、 じゃあ自分が好きな物を作れば完成度は別としても自分で好きと思える作品が作れるかというと、 必ずしもそうではないというのが自分の感じている事ではあります。自分の周りの絵描きさんと話していると
「絵を描くのが楽しいし、このキャラ大好きだから描くんだけど、どうも自分の描くイラストだけは萌えない。」
という話は時々聞きます。ただニコマス界隈だと逆に
「なんだかんだで自分の作品が一番だよね」
って話もよく聞くので、この辺はその内きちんと分析してみたいなぁとか思うのですが……という余談)

さて、そこを踏まえて「なかなPの場合」を書いていきましょう。 まあ、作ってる動画があれなので参考になるかは微妙ですが。

自分の場合、介党鱈Pの動画の内容と同じく軸になるのは「降ってきた」ものです。 さらに言うと降ってきた「言葉」です。設定やシチュエーションが先に思いつき、 そこから話を発展させる場合も多いですが、 その場合でも「これは動画にできる」と確信できるのはキーとなる言葉が降りてきた時ですね。

マーケティング的な考え方をする事もありますが「数字が取れそうな所を探すため」にではなく、 「これまでの作品、これから作る作品のポジションを明確にするため」に行っています。 あくまで自分が「何が好きか」「どうなりたいか」を再認識する作業ですね。

(マーケティングを元に商品企画をした結果、どの社も同じような物を作っちゃったってのは、 マーケティングの落とし穴としてよくある話。 同じ理屈で分析すると究極的には「誰が作っても同じ」になります。それが理屈ってものです。 そうならないためにはマーケティングより上位の存在としての自分のポリシーが必要です。)

で、その言葉をベースにぽんぽんとピース(ピースは文章とは限りません)を作ったり集めたり、 キーとなる言葉につながるように並べ替えつなげていく。 このへん介党鱈Pの動画で言っている事とかなり近いです。

つなげる上においてはシンプルにというのも同じ。 仕様提案資料なら出来るだけ詳細に書いて読み手の想像力を封じこめる事で意識の相違をなくす事が勝負ですが、 ノベマスというのは読み手の想像力をいかに喚起するかが勝負です。 多少の自分の意図とは違う方向で解釈されるリスクは承知の上でばっさばっさと削ります。

もっとも自分の意図とは違う方向で解釈されるのは怖いと思う方も多いと思います。自分もそうです。 いかし、そこは動画ではなくblogやマイリスコメで補足するくらいのつもりで思い切ります。 もちろん動画だけで伝えられるに越したことはなく、 それが出来ずにblog等で長々と補足するのは未熟ゆえではあるのですが、 押し付けがましい設定をだらだらと仕様書のように書いてテンポの悪い動画になるくらいなら、 まだそっちの方がいいって判断です。

そこで重要になるのが、ターゲットの選択です。 一番シンプルで楽なものは「自分と嗜好が似ている人」でしょう。 (介党鱈Pのいう「自分がおもしろいという動画をつくろう」ってのはここに繋がります)

多くの人に気楽に楽しんで貰える事を目指すのであれば難しい事や些細な事を抜きにする事でテンポよく出来ます。 限られた人の心に深く残る事を目指すのであればキャラやシチュエーションを知っているという前提でそういった説明を省く事で より多くの文章を深い部分の描写に割く事が出来ます。 なかなPはどちらかというと後者の動画が多いですね。友美や菜緒さんとかそうですし、 「小鳥の回想」も一見小鳥さんの話でありながら、春香のうたのおねえさんの話を知っている事を前提に展開させているお話です。

これは演出面も同様です。介党鱈Pがテクニックのひとつとして上げてた表情だって必要とあらば自分の場合は切ります。 あえて色を塗らなかったり、あえて背景だけにしてみたりetc...

あくまで主役はキーの一文。その文を引き立てる演出なら必要ですが情報過多になり埋もれさせては本末転倒です。 自分の動画は背景が手描きやPVなのでわかりづらいですが、 例えば「とのばな」シリーズや「マネージャー秋月律子」シリーズのシルエットグラの例を見れば、 情報を削ることも立派な演出だというのはわかるのではないでしょうか。

で、なかなPの場合はそれを(いい悪いは別として)やや極端に行う結果、まず短編になります。 そうなると視聴者を飽きさせないためにいくつも見せ場をつくる必要もなくなります。 短くすればその分飽きさせないための演出や演出的文章が必要なくなり、さらに短くなるという循環が生まれるわけです。

で、そうなると1曲の上に載せることができるようになります。 逆にキーとなる一文といくつかのパーツが集まった段階で曲を決めてそこからテキストを載せていくることもあります。 どちらにしろ、1曲に完結する事で曲の展開そのものが持つ起承転結をそのまま演出として利用出来るようになります。 曲の進行に文章を収めるというのはテンポ合わせや一文の長さの制約が厳しくなり難しくはありますが、 文章をテンポよく出す事は文を読む側に「叩き込む」効果もありますし、 自分のように意識して構成がしっかりした文章作るのが苦手な人には 曲に合わせてるうちに自然と起承転結を持つ文章になるという点でもアリだと思います。

そして出来たもの、あるいは作っている途中のものを他人に見せるか?という話ですがこれはケースバイケースです。 ただ、出来たものを見せる事はほとんどしません。なぜなら、一度出来あがった物を再度いじるのは骨ですし、 それに同期Pとか仲の良いPとかっていうのはニコニコアップ後、 早いうちにコメやマイリスをつけてくれる貴重な初期視聴者となりうるからです。 特にコメは初見の驚きがある方がつけやすいですしね。 なので、比較的広い範囲に見てもらうのは改変グラなどあくまで一部(この場合は予告というプロモーション的な意味合いも含まれます)。 プロットや仮組み等は行き詰まった時にごく少数の特定の相手に見せる程度です。

で、プロットや仮組み等を見せる場合に大事なのは2つ。
「問題点を明確にすること。」
漠然と「どう?」って聞かれても答える方も割と困りますよね。 どこを直したいのか、この作品で何を伝えたいのか、 といった所を出来るだけ明確にした方がお互い幸せになれます。 そしてもうひとつは
「お互いに考え方をある程度知っている相手を選ぶ事」
指摘というのは相手の立場や考え方によっても変わってきます。 例えば春香と千早の話を書くとしても、はるちは派とちははる派では当然見方が変わってきますよね。 1つ目にも繋がりますが、こちらの意図を汲んでくれる相手、 また相手の指摘の意図を汲みやすい相手だとスムーズに事が運びます。

そしてこういった作り方は紙芝居ノベマスに限った話ではなく、 「星井姉妹のrelations」や「魔法のマッチ」のようなPVが前面に来る動画も同じです。 果ては「EUPHORIA」のようなダンスシンクロPV系についても文こそ出てきませんが、 見せたいものの為にそれ以外の物を削る、曲の起承転結を活かすといった点では基本的な所は共通しています。

さて、こんな感じでだらだらと自分のノベマスを作り方を書いてきましたが、 こうやって改めて書いてると、テキスト比率の高い動画を作るときのやり方が PV系の動画を作る時もベースとなっているという点では、 自分の根っこはやっぱりノベマスPなのかもなぁと思った次第。

もっともノベマスと言いつつも冒頭に書いた通り、 自分の動画って「あれってノベマスなの?」ってよく言われるようなシロモノなんですけどねw

そして、そういうジャンルがあいまいな物作ってると検索にひっかからない等による弊害はたぶんあります。 しかし、同時に「ノベマス」「PV」といった括り自体がいろいろ有効かつ便利な反面、 それありきで出発することは「数字を伸ばすためには○○をしなきゃいけない・してはいけない」 といった枷と同じような弊害も生むことは知っておいて欲しいと思います。

そう。少なくとも出発点に関しては数字や形式に囚われず 好きなことを自由に。 結局、そこにつきるんですよね。 考えない事も思考停止だけど、こだわり過ぎるのもそれはそれで思考停止なのです。バランスが大事。

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