備忘録的に。0710

アニマス20話について語りたい……とも思いつつも、 今日はそれとは違うちょっと過去がたり。

ふとしたことで過去の記録を探していたらこんなものが出てきた。

本編しかマイリスしてなかったので、参加者紹介編あったのなんてすっかり忘れてた。
しかも、Koshishin名義じゃなくて、なかな名義なのね、これ。 いや、ゲームのP名の入力制限が8文字までということで以前からアイマス関係はKoshishin避ける傾向はあったのだけども。 (そういえば「ミキのひとりごと」を上げたあとP名決める時にこの動画確認した記憶があるようなないような……)

よし、これで俺も0710P(←なれません)

ちなみに匿名の合作的な動画では08年03月にもやってたり。 よし、これで俺も0803P(←なれません)

07年頃は諸事情あって↑のような特殊な例を除けばまだblogにニコマスの話題を書くのは控えていたため (今もあんまり書いてないですけど)、 今となってみると何やってたのかさっぱりw。

ここまで話したので、ついでにあの話をしましょうかね。


控えていたニコマスの動画紹介を解禁したのは 2007年12月17日のエントリ。 動画紹介といいつつ、しょっぱなに書いてあるのはなぜか赤ペンPのblogの感想w

コメントデータ何度か飛ばしているためコメントは残っていませんが、 これに対して赤ペンPがコメントをつけてくださり、自分もまた赤ペンPのblogに何度かコメントしたという。 当時はただの見る専であった自分がおそらくは初めてちゃんとした「双方向のやりとりをしたニコマスP」です。 ただそれだけ……の話ではありますが、Twitterの普及していない当時としては、 これだけの事でも、「好きな作品を作ったP」という以上にそのPを意識するには十分な事だったと思います。 それが以前「赤ペンPはほーんのちょっぴり特別な存在」と言った理由です。

もっともその後は、自分が無能Pの絵チャに入り浸る事になった事もあり途切れていたので、 2年後の自分のデビュー後に赤ペンPがこの時の事を覚えていたというのは驚きだったし、 ましてこの出来事が新作で友美さんをステージで踊らせた事に繋がるとはって話なのですが。

さて、上記のエントリを今、見返してみておもしろいのは、 当時から「絵のクオリティーに頼らない作品」を模索していた事。
もっとも絵のクオリティーに頼らない部分をストーリーや絵の枚数で補おうという方向性で当時作っていた動画はお蔵入りしましたが、 その後「絵のクオリティーに頼らない。しかも絵の枚数もテキストもミニマムに」という方向性に転換した結果、 その時考えていたお話は「千早の電話~春香~」として陽の目を見ることになります。

そして、赤ペンPがその「千早の電話」を(デビュー作の「ミキのひとりごと」や当期自作最大のヒットの「星井姉妹のrelations」があるにもかかわらず)20選に選んでいる というのもまたおもしろい因果です。 もっとも、赤ペンPが「千早の電話」を選んだ理由は20選の詳細記事が上がらなかった事もあってきちんとは聞けてないのですが。

しかしまあ、こうして振り返ってみると、ニコマスPになれた所まではいいとしても、 テキストを武器とした改変PVとか、我ながら どうしてこうなった感がパンパない。 でも期待されないこその、好き勝手出来る感覚は、 あの頃にデビューしていたら得られなかった感覚だったのかもと思ったり。 ま、歴史にifはない……のだけども。

コメント

コメントを書く