なにやら政治の世界でゆとり教育の見直しで、
例えば休みや土曜を利用してどーのこーのとやってるようですが、
「国民は『ゆとり教育』というのを理解してない」とか
「世界最高水準の学力を」とか言うのはまあいいのですが、
なんというか学力、学力と連呼されているあたりにどうも違和感を感じるのは
私だけでしょうか?
そもそも「ゆとり教育」というのは、
学力が落ちてもいいから学力ではない想像力とか情緒性とかいったものを
伸ばすのが目的だったんじゃないでしたっけ。
だから、学力は落ちても当然といえば当然では。
学力が落ちた上に本来の目的が達成できていないというのであれば、
見直しも当然ですが、そこで見直しの観点が学力ってのはどういうこと?。
本来なら学力も含めて総合的に判断すべきでしょう。
それに建前を除けばゆとり教育の「時短」の部分というのは
教育の自由化でもあったわけで、
それは家庭環境によって幅(見方によっては格差)が広がる事になります。
ということは学力を論じるにしても平均だけみてても仕方ないわけで
偏差も見ないといけないわけですよ。そこまで果たして見ているのやら・・・。
ま、「見直し」の過程でまともな議論が行われることを期待しています。