新幹線

ひかりはふつーの300系。最初は座れなかったが、予想通り新大阪で座れる。例によって暇なのだが、寝不足の今日でさえなぜか寝れないんだよな―。東海道のホーム端の大きな駅名表示はたしかにナイスアイデアではあるが、どこかシュールだよなぁ・・・なんて思いつつ、東京着。

東京到着時、さっと停車中の列車をチェック・・・ん、この運転台の窓は・・・J1だぁ。ということでホームに下りてチェック。発車までそう時間がなかったので、細かくはチェックできなかったが、前面の連結器カバー部は量産車と同じ白とグレーの塗りわけになっちゃったし、車内も座席モケットが量産車と同じ色に変わっているので、あからさまな変さは薄れているがやっぱりJ1である。ラッキー。

さて、用事が予想以上に遅くまでかかってしまい。新宿に行くもちょっとカメラ屋まわるだけで時間がなくなってしまう。しかも、お目当てのFD35-105mmF3.5用のフードもなくなっており、てんで収穫なし。あわてて東京に戻り姫路行きのひかり177号に乗車。自由席はあいてないし、グランドひかりだが、姫路行きなので食堂車も当然営業なし。うーん喫煙指定席でもよかったかなぁなどと思いつつ名古屋までデッキで過ごす。で、このひかりを新神戸で降り、北神、神鉄と乗り継いで24:30頃帰宅。

スルッとKANSAIこうべカードあれこれ

用事で東京へ。今日は荷物の軽量化のため、カメラはデジカメとAE-1と50mmレンズという内容。レンズとボディーはばらして収納。

バスで谷上へ出て北神で新神戸へ。車両は地下鉄車だったが、つり広告にはスルッとKANSAIこうべカードの案内が。神鉄もそうだが、9月頭にはほとんど案内がなかったスルッとKANSAI。思ったほど加入に関して盛り上がりはない。さて、このつり広告、よく見るといくつか、気になることが。1つはスルッとKANSAIこうべ発売後もプレミア付であるNewUラインカードが並売されると言う事。そういえばNewUラインカードは一度も使ったことがない。というのもこのプレミアのおかげで券売機でさえ北神連絡のきっぷが買えないからなのだが・・。

2つ目はさらにそれに会わせて地下鉄・市バス共通と書いていないNewUラインカードが改札口を通れなくなるということ。そういえば、市バスでもカードが使えるようになっていたが、あれってNewUラインカードだったのか。でも共通とそうでないのとでカードの仕様が違ってるのか・・・。ということは、神戸市営地下鉄で今までに発売されたプリペイドカードにはUラインカード、NewUラインカード、地下鉄・市バス共通NewUラインカード、スルッとKANSAIこうべカードの4種があることになる。

3つ目はスルッとKANSAIこうべカードには大人用500円券が用意されること。ただし、券売機では発売されず、定期券発売所または駅売店での発売。しかし、フリーデザインカードの類以外での大人用500円券というのは珍しいのでは?。ちなみに子供用500円や250円のカードはなぜかなく、1000円と2000円分の発売。

4つ目、これは今回の神戸エリア全体の加入PRの広告だが、神戸エリア新加入6社の駅員と名所をデザインしたポスター。さて当然気になるのは北神沿線の名所って?・・と言う事だが布引ハーブ園だった。まあ新神戸も沿線には違いないが・・・。ちなみにポートライナーは北公園。神戸高速はハーバーランド、山陽は須磨浦公園、神戸市営はグリーンスタジアム、神鉄は有馬温泉だった。あと、そういえば今回発売される神戸エリア拡大記念のカードの方は阪神・阪急・阪急バスを加えた車両の前面だが、神戸高速は社章とトンネルを走る電車をあしらったマークみたいなイラストだった。

先日の車の震動。右後ろのタイヤの内部のワイヤーが切れていた事によるものと判明・・・って下手するとバーストしてたかもって事!?こわぁ~

今夏の新規乗車線区

18シーズンも終わったのでまとめてみる・・・・

  • 岩本町-馬喰横山
  • 東日本橋-浅草橋
  • 豊洲-有楽町

・・・これだけ?(爆) 今夏って18きっぷ5日分以上使ったのに・・・(^^;;

KOS44制作秘話

こししん
「個人的には1つ前の贈った絵とセットで1つの節目になる絵だと思ってる」
なかな
「それはやっぱりフルカラー絵のクオリティーという点で?」
こししん
「それもあるけど、どちらかというとフルカラーにおける鉄道車両の絵柄という点の方が大きいかな。」
なかな
「・・・って言っても16色の時と変わらないやんか?」
こししん
「鉄道車両の絵に関するリアルっぽい絵柄というのは実のところ結構心の中で抵抗もあるんよ。」
なかな
「っていうと?」
こししん
「結局それって、つきつめると写真になっちゃうやん。」
なかな
「白黒や16色ならともかくフルカラーだと余計にそうなるよねぇ。」
こししん
「特に鉄道ものって車やバイクに比べると絵より写真よりのような…。」
なかな
「物が大きいだけに写真にしてもキャラとのからみが割と楽だしね。」
こししん
「でもまあ描きだすとついつい書きこんじゃうんだよなー(苦笑)」
なかな
「趣味で描いてるんだから別にそれでいいじゃない。」
こししん
「ま、ここらへんの葛藤は書きだすとすごく長くなるので置いといてと。」
なかな
「うん、話戻してよ。」
こししん
「で、電車に関してはりあるなのとぽっぷなのとその中間どころの3つの絵柄を軸にしようかと。」
なかな
「つまり贈った絵がぽっぷなので今回のがりあるぅってわけね。」
こししん
「そゆこと。キャラの絵柄に関しても前回のと今回のがそれぞれ両極になると思うよ。中間どころの絵柄のパターンは電車より多くなるだろうけど。」
なかな
「まあ両端でそれなりに描けたって事は今後の展開にそれなりに目処がついたってことになるわね。」
こししん
「ま、もっともまだまだ下手なんだけど・・・」
なかな
「でさ・・・思うんだけどいくつ絵柄持つつもり?そんなに絵柄増やした所で上手くならないと思うんだけど
こししん
「えーと、ごめんなさい(;_;)・・・で、今回も結局こーゆーオチ?(爆)」

いや、でも最近絵柄そのものは良くも悪くもわりと固まったと思うんですけどねぇ。去年中頃から後半にかけて目と目と鼻の間隔に関してふっきれたらそこそこ固まっちゃった(笑)。私自身の分類では大きく分けると2種類に集約。落書きや投稿用の絵だと瞳の描き方が違うパターンもありますけど・・・あ、でも相変わらず同じキャラが同じにみえないのも事実か(爆)

CD

やっとの事、オラタンのCDを買った。あと田村直美のも。

聴いてておかしーなと思ったら右のスピーカーから音が出てない。そういえば、前から壊れてたよ・・・と寮で使っていたアンプを引っ張り出しスピーカーをドライブする事に。リモコン使えないのがかなり不便である。

かえり

今日は葬式。いろいろ思うところはあったのはさておき、集まる親戚の大半が誰が誰だかわからない(苦笑)。まあ母親の叔父にあたる人のお葬式なので、さらにその人の親戚となるとかなり遠い親戚になってしまうのだから当然と言えば当然か。

さて、帰り。前日の車の車体の震えであるが、家に帰るころには低速でも震え出すように。タイヤかホイールかサスってあたりだとは思うけど、また壊れたのぉ~?って感じである。

四国へ

親戚の通夜で両親と急遽四国へ行く事に。父親の運転する車で出かけるが山陽道で速度を出すとがたがたと車体が震え出す。 これがかの蛇行動かっ!?(←それは鉄道の話やろぉ) とにかく原因不明で気持ち悪いが、何事もなく到着。通夜の後、母方の祖父の家に泊まる

ディスプレイ撃沈

WAVでBGMをならしつつ、Painterを立ち上げたまま、CGの構図の参考にと雑誌を読んでいると・・・パワーセーブに入ったのであろうディスプレイがパチッと音をたてる・・・が、その後にバチバチバチをさらに2秒ほど音がつづく。・・・げげ、最近調子悪いがひどくなってきてないか・・・と思いつつしばらく雑誌を読み、再びパソコンに向かい、パワーセーブを解除すべくキーをポチッとな。パチっと音がして、いつものように復帰・・・しない。念のため、とりあえずCTRL-Sを押してHDDががりがり言うのを確認。うん、XsとWindowsは生きてる。ディスプレイのの電源ON・OFFとコネクタさしなおし・・・だめ。 あ~あ・・・・とうとう壊れちゃったよ。 修理に出さなくちゃ。保証はきくはずだけどきかなかったらどうしよう・・・。 して、当面の繋ぎとして父親の部屋のアプティバからディスプレイを奪ってくる(笑)。できれば避けたかった事態・・・それはこの17inchディスプレイ、ふつーのフラットフェイス管なのだが、それでも壊れた15inchと比べるとめちゃくちゃ表示きれいなんよね~。元のディスプレイに戻れなくなりそう(笑)。

同じ解像度・ピッチで画面が大きくなった事もあって、全体的にピントがシャープ。特に周辺部のピントの落ち込みが少ない(この点に関してだけはいつぞや見たナナオの安モデルよりはるかにいいぞ)のはセットモデルのディスプレイって事を考えればかなりいい。コントラストもやや高くなって、Xsの内蔵ビデオでもちゃんとここまで出せるんだとちと感動。ただ調整系のインターフェイスはちと使いにくいし、ゆがみに関しても素性なりのゆがみがあるけどね。

とはいうもののこの17inchも保証期間内に1度壊れてるし。こんどは私のでしょ。なにやらIBMのディスプレイに対する信頼度が落ちそう。(^^;;

パソコンでBGM

7月に出たオラタンのサントラ。いっこうに金欠で買えないので、MIDIデータでとりあえずしのいでいるのだが、我がXs君はハードウェアMIDIを搭載も接続もしてないのでなかなかに重い。まあ、非力なXsでも音質にこだわらなければエディタ使うくらいの余裕はできるが、お絵かきともなると目に見えてダメになるので、WAVに落とす事に。

とにかく最大クオリティーでWAV出力。1個数十MBのファイルが何十個もできる・・・HDD買った半年前までは考えられなかった贅沢(?)な使い方に出来たWAVを聞きつつ、しばし感動(笑)。そういや、一時期9801DAを使ってた頃はWAVをADPCMに変換してSSG音源で聞いた事もあったけ・・・HDDが40MBだったからADPCMでも1・2曲HDDに置いておくのがせいいっぱいだった記憶が・・・つまり、いくらか音質はよくなったがやってる事には進歩がない(汗)。

しかし、さすがにこんなでかいファイル群を置いとくのはもったいないので、MP3に変換してみる事にする・・・エンコードに時間がかかるのは大量でない限り待てばすむ程度だからいい・・・音質も文句なし・・・しかし、 再生にパワー食いすぎ(T_T) 感じとしてはCPUパワーを6~7割持っていかれて、大き目の負荷がかかるとかなり派手に音が途切れ出すので、とてもやないけどお絵かき中のBGMには無理である・・・。ああ、ここらへんがペンチODP83MHzの悲しさである。

さて、てなわけでMP3は使えないのでカセットテープに落とす(爆)という手も考えたが、よく考えたら私の部屋のカセットデッキ録音側壊れたまんまだった。で、結局、WAVの品質を落とすことに。ボーカルないこともあって、22KHzや8Bitにしても言うほど悪くなるわけでない。ここらへんはデータや好みでパラメーター変えて変換。とりあえず、たまに音は途切れるが、とりあえずBGMとしてもそれなりに聞ける感じになった・・・。

マシンパワーあるマシン使えばこんな苦労もしなくてすむのだが・・・(苦笑)

下界へ

ネットな友人が来阪との事で神鉄でおりる。ひさびさに2000系3連公園都市線仕様が来て乗る。新開地での乗り継ぎは阪急梅田行き特急だったが、待ち合わせが大阪駅であった事もあって三宮で降りてJRに乗り換え。1000円のJスルーカードが自動券売機で買えるようになっていたので使ってみる事にする。Jスルーカード初使用の感想は・・・改札機通るのが遅い。たぶんイオカードも同等くらいに遅いのであろうが、私の場合、旅行中の歩速と関西の街中にいる時の歩速は微妙に違うのでよけいに遅さを感じるのであろう。あとスルっとKANSAIの場合は自然と歩速をゆるめるクセがついてしまっているがここまで遅かったけなぁ・・・。

ま、とにかく221系の快速で大阪へ。マクドでだべり、さらにオムレツの店で夕食とりつつだべる・・・ファーストフード以外の店っていうのもえらい久しぶりな気がする(爆汗)

新宮夜行に西九条まで乗り、JR、神戸高速、神鉄と乗り継いで帰る。神鉄は岡場行き最終でこの間のダイヤ改正の恩恵をさっそく受けた格好。

壊れなかった人達のコワレタ心

自分の心がどーのこーのなんてのはあんまりこーゆー所に書くものではないとは思ってるし、それにここってお気楽なサイトだし、なにより恥ずかしいったらありゃしないのではあるが、筆無精の私が毎日ではないとはいえ、せっかく日記を書いているのだから、後で読み返す時の事を考えるとたまにはこういう重い事を書いとかないともったいないかもしれない・・・と思ったのでちょこっと書いてみる。

今日の話ではなくて2ヶ月くらい前のある新聞のコラムかなんかの話。阪神淡路大震災の時、ある人はあの惨状に対していろいろ感じ出したのは数日後だったという、震災で家を壊されなかった人達も実は心を壊されていた・・・という趣旨の話。

私の場合、神戸とは言っても被害の軽微だった地域に住んでいた。幸運にも友人・知人も無事だった。しかし、地震の時一応飛び起きる程の揺れを体験し、そしてなにより、7年間学校に通い、そのうちの1年半は住んだ事もある街の変わり果てた姿に対して、あの時の私は何を感じ何を思ったのだろう・・・とあの時の事を思い返してみると・・・あれだけの事にもかかわらず自分の中残っている記憶が少ないような気がしてならない事に気づく。4年の歳月・・・と一言ではすまされないだけの・・・。あの時、入院とか受験とかいっぺんにどたばたが来て、なんだかんだ言って自分の目先の事が大事だったのかもしれない。でもこのコラム見て思った。あの時私の何かが壊れていたのかもしれない。目と心の間がどこかで切れていたのかもしれないと。・・・しかし世の中結果である。あの震災は私の中で自分でもおかしいと思いつつも「ひけ目」として存在している。そしてその感情をいまだに行動にうつせない自分に対してまたひけ目を感じ・・・とまったくもってきりがない。ま、これはこれからの自分自身の問題ではあるが、ふとあの震災が私に残したものの中で一番最後まで残るのがこの「ひけ目」なのかもと思ったりもするのである。まあ、なんにせよあの震災は私の中でおそらく一生忘れ得ぬ事には違いない。

震災の後・・・何度もあの街に行く機会があった。そしていつものようにかばんの中にはカメラが入っていた。でも・・・撮れなかった。結局、震災を物語る写真は大阪駅で撮った住吉行の列車の写真2枚だけ。この事は記憶の光景をちょっぴり速く風化させ、あの時の私の気持ちをちょっぴり強く今に残しているのかも。

・・・なんて考えてみたりする。やっぱ、文章むちゃくちゃやん。