アイドルマスター劇場版とその感想(ネタバレあり)
アイドルマスターの劇場版が公開されました。
私は主に「深夜だと道が空いているので車で行くのが楽」という理由により、最速上映を最寄りの映画館で見てきました。 さて、その感想をどうしたものか……と考えていたわけですが、 チャットで話しているうちに考えが多少まとまってきたのと、blogならネタバレ回避できるよねという事で、 ここで書くことにしました。まあ、決め手は赤ペン先生が書いてた事なんだけどw
というわけで、まだ消化しきれていない所もありますが、以下ネタバレはいりますよー。
ニコマス2013年下半期20選
今回も20選参加です。
レギュレーションはこちら。
基本レギュレーション
対象は2013年下半期(7月1日~12月31日)に公開されたニコマス作品
・自身のセレクトを20作品以内でブログ・ブロマガ・マイリストなどで公開
・1Pにつき1作品
※作品と一緒にP名を表記していただけると非常に助かります
「2013年下半期ニコマス20選レギュレーション」
というわけで以下紹介。
春香の蒼い鳥~千早の電話Ver~
久々のblog更新です。
リアルのお仕事が忙しく、体調も優れなかったというのが一番ですが、 それによって別のblogでやっている"Pと「このカメラ」"のイラストに手がつけられなくて、 これより優先度の低くてそれなりに時間や気力のいるタスクがほぼストップしてしまっていたというのが実情。
で、ようやく仕事が谷間に入ったので、久々に動画を。
といってもいじったのは音源だけでPV部分はAUTO一発撮りで色調補正かけただけ、 音源自体もREM@STER-Aのアカペラをオリジナルのオケ(前半はゲームVer.、後半はM@STER VERSION)と合わせただけなのであまり大げさなものではありません。 ではなんで上げたのか。そんな話を今回は。
春香はパラメータにおいてVo型だけど実際の歌においての印象は特に初期は薄かった気がします。 それでも「ポジティブ!」の「(笑)」、「GO MY WAY!!」の「ラッキー」といった「楽しさ」の表現において、春香は独特な物を持っていて、 それを一歩領域を拡げたのが「I Want」……だったと今になっては思うのですが、 実際は自分がそれを意識し、またそれが「楽しさ」に限らない物だと実感するようになったのがこの「蒼い鳥 REM@STER-A」でした。 この曲のもつ「悲愴感」の表現においては千早のそれすら上回っている(もちろん表現においてどこにフォーカスするかという話であり千早の蒼い鳥が劣っているというわけではないのですが)と感じたのです。
昔作った「千早の電話~春香~」において、 春香が「蒼い鳥」を歌っていてそれを千早が褒めるという描写にはこのREM@STER-Aのボーカルが念頭にあります。 それだけ自分の中では千早のそれに匹敵するインパクトがあったのです。
「relations REM@STER-A」と合わせて、春香のVo型としての真骨頂は「歌を演じる」「感情をこめる」 という特性にあるんだと確信できるようになったのがMASTER LIVEシリーズでした。
しかし、この「蒼い鳥 REM@STER-A」。オケがオケなので「黒い鳥」なんていう異名もあったりとイロモノ感があるのも事実です。 なんで、「じゃあオケをオリジナルの蒼い鳥にしたら?」という妄想はずっとあって、 それを簡易的ながらも実際にカタチにしてみたのが今回の動画です。
アカペラがもっとちゃんと取れればもう少し別のカタチで作ったんだけどというのはありますし、 もしかしたら今後何らかのカタチで作りなおす事はあるかもしれませんが、 この動画が自分の春香感を構成する大事な1ピースなのは間違いありません。
ニコマス2013年上半期20選
2013年も半分が終わりと言う事で今回も20選参加です。
レギュレーションはこちら。
基本レギュレーション
・対象は2013年上半期(1月1日~6月30日)に公開されたニコマス動画
・自身のセレクトを20作品以内でブログ・ブロマガ・マイリストなどで公開
・1Pにつき1作品
※作品と一緒にP名を表記していただけると非常に助かります
「2013年上半期ニコマス20選レギュレーション」
というわけで以下紹介。
アイドルとアイドル
最近、「艦これ」が楽しいです(挨拶)。
さて、昨日だったかな。Twitterで「アイマスにおけるプロデューサーとはなんぞや」ってお題が出て来ましてね。 あとはAKBの総選挙の話題なんかもあったので、 割と話し尽くされてそうな話題ではあるけど、現在の視点で見るとまた違うなぁとというわけで、 Twitterでぼやーっと考えてみたわけですよ。んで、書いているうちにいくらかまとまったので改めて再構成。
さてWikipediaさんをいろいろ見てみるに「プロデューサー」の項とは「制作全体を統括する職務」とある。
音楽プロデューサーであればアルバムコンセプトから始まり作詞・作曲・編曲・演奏者・ジャケットデザインのデザイナーの手配やら、
プロモーションについて権限(その範囲は場合によりまちまちだろうけど)を持つのだろうし、
また、現在アイドルのプロデューサーといって多くの人が思い浮かべるであろう秋元康氏の項をみると、彼が
「自分はピカソになりたい広告代理店マン。でもピカソになりたいと思った時点でピカソにはなれない」
と語った事があるとも書いてある。
というか、よく見ると「プロデューサー」の項にも書いてあった。
「要するに、敏腕な営業マンである。」
ただし、特に無印のアイマスにおけるプロデューサーというのはマネージャー的な要素が強いので (無印は開発当初マネージャーだったというのをどこかで読んだ気がする)、 ニュアンスとしては多少異なるのだろうけど、ここはあくまで「プロデューサー」にこだわって行きます。 (アイマス2に関しては資金の制約の中である程度戦略的に営業なりライブなりをこなさなければいけないという点ではより「プロデューサー」になっていると言えそう。
さて広告代理店マンにしろ営業マンにしろ、要は売る商売なわけです。 で、アイドルのプロデューサーの場合、その商品は何かっていうと「アイドル」だよなーと。 いや、アイドルのグッズとかを売る事を考えれば「アイドルというブランド」なのかもしれない。
で、ここでもうひとつ。何を売るかと同時に大事であろう事は「誰に売るか」だろうと。
そう思ってふと思い当たったのが、秋元康氏が正月のTV番組でこんな意味の事を言っていた事。
「アイドルの冠番組っていうのはファンに向けての物なんです。でもSMAPはそれをお茶の間の物にした。これはすごい」
そして、その秋元氏の手がけるAKBは「会いにいけるアイドル」というある種ファン向けを先鋭化したコンセプトなんですよね。
「ファン向け」と「お茶の間向け」を明確に分ける人だからこその発言でありコンセプトなんだろうなと。
でも国民的アイドルとは逆の方向性だったはずのAKBというブランド自体は「お茶の間」にも認知させる存在になった。 それは何故かって所がプロデューサー的には肝心なわけですが、残念な事に自分はアイドルウォッチしているわけでもないのでよくわかりません。 でも嗜好が多様化して「国民的アイドル」が生まれにくくなって以降、アイドルといえばグループって感じもしなくもないのは、 単純にメンバーの中から好みのアイドルを選べるという要素の他にも個々を薄めつつ多人数の華やかさを持つグループとしての看板が大事なのかなという気もします。
で、アイマスです。ハロプロが流行りの時代にもともと9(10)人という多人数で始まったアイマスですが、 春香と千早……というか「太陽のジェラシー」と「蒼い鳥」という曲はもう少し前の歌謡曲の時代のソロアイドルを意識していたと思います。 しかし、その後ファンの中で「みんないっしょ」という空気が強まり、アイマス2では団結の名の元3人ユニットのみのプロデュースになり、 アニメではその春香が「みんなといっしょに歌いたい」という答えを出し、 そしてシンデレラガールズを経て、AKBを意識したであろう765シアターという舞台を持つミリオンスターズが出てきた。 それぞれの理由は1つではなく複雑にからみ合ってはいますが、結果として時代に沿っているのかなという気がします。
ちょっと出発点からだいぶ話はそれてきたというか、 わざわざblogの記事にする程かって気もしてきましたが、まとめに入りましょうw
アイマス、あるいはリアルのアイドル達が今後どうなるのかはわかりませんが、 その変化は「昔のアイドルのテイスト」に魅力を感じていた私のような人にとっては「違う」方向性なのかもしれません。 「アイマスのアイドル」というクローズドな所に架空の物だからこその魅力があるのも事実です。 でも若い人にとってアイドルといえばAKBというのであれば、 「アイドルのゲーム」であるアイマスもその程度や形はともかくそのテイストを取り入れて行くのは自然だと思っていますし、 今後長く続けていくためにはそうであって欲しいと思います。
20年後30年後、アイマスシリーズを振り返ると半世紀の現実のアイドルの歴史が透けて見えるのもまた楽しそうじゃないですか。
「眼鏡のアイドル~春菜を変えたひと~」について
後ほどといいつつ1ヶ月が経とうとしていたよ(汗。
GWは予定通りそれなりに遊んでいたんですが、 そのあと1週間ほど熱出して寝込んでしまいまして。 その後もなかなか体調戻らずに気がつくともう5月も終わりだよ!ってな具合です。 歳だなぁと思わずにいられません。
さて、といっても上条さん側の話については「『眼鏡のない上条春菜』を考える」そのままなんで、 そんなに書くこともなく、動画そのものはいつものシンプルなパターンなんでたいして書くこともなく。 ひとつ書くなら、上条さんの絵と律子の絵はあえて同じ絵をベースにして無理矢理類似性を出そうとしているあたりでしょうか。 では、なんでエントリ1つ上げたかというと、律子と上条さんの関係について、ひとつ大事な事を補足しておきたかったからです。
律子と上条さんなんですが、実は公式ですでに接点があります。 去年の6/22掲載のシンデレラガールズ劇場の第15話「あの人のために」。 自分の動画同様。名前こそ明言はされていませんが、 律子であろう人の誕生日パーティーを準備するモバマスの眼鏡アイドル組が描かれています。 そこで見る上条さんの態度からして、自分の動画程のあれではないにしろ、少なくとも上条春菜にとって律子は尊敬の対象なのではないでしょうか。 (余談ですが伝説の「まぁまぁ眼鏡どうぞ」が飛び出したのはシンデレラガールズ劇場の栄光の第1話である)
しかも、自分の覚えている範囲ではシンデレラガールズ劇場で765プロアイドルを思わせる描写があるのって、 この回だけなんですよね。765プロがより密接にからんだグリマスが出てきたことでモバマスの脱765プロ色が強調されていますが、 その中でこの第15話の存在、律子の存在というのは凄く大きいと思うのです。
もちろんメタ的な話を出せば当時765プロアイドル勢で唯一律子にSRがない事の不満が大きくなっていた所への運営なりのフォローで、 満を持して登場するSR律子の予告でもあったのかもしれませんが、 少なくとも第15話において765プロとモバマス勢の壁をわずかながらも超えたのは「眼鏡アイドル」という団結だったのではないでしょうか。 しかも対するグリマスのシアター勢には「眼鏡を外さないアイドル」はいないというね。
まあ何が言いたいかっていうと、「『眼鏡のない上条春菜』を考える」の話も含めて、 上条さんと律子については要は公式がすでにこんだけネタを投下してくれてるんだよって事。 ここに1つだけオリジナルの要素として「上条春菜が眼鏡をかけるきっかけが律子だった」というのを加えたのがこの動画だったりします。 そしてこの動画が実は半分、律子動画である事。
ネタが先行するモバマスの二次創作の中ではニッチな需要だとは思いますが、だからこそ作れて満足しています。
とりあえず
以前書いた「『眼鏡のない上条春菜』を考える」をノベマスにしました。 細かい話はまた後ほど。
4月3日
4月3日。それは天海春香の誕生日。
ニコマスに数多く上がる誕生祭動画を見る余裕もなく、 盛り上がるTwittterのタイムラインをちょっと離れた場所から眺めるように追う自分がいたりする。
それは決して春香に対して冷めてしまったわけではなく、 アニメで春香がプロデューサーにクリスマスプレゼントを渡せなかったような感情なんだろうと考えると同時に、 無印のドームA成功EDこそを春香に対する原典とするPにとって、超えられない一線なのではないだろうかとも考えます。
彼女は手の届かない存在。そして、完璧なアイドルであるためには完璧であってはならない。
少なくともそこに対して自分は春香に対する自分の答えはまだ出せていないのだなぁと、 改めて感じる今日という日なのでした。
でも同時に天海春香という存在が今ここに在り、そして知ることが出来た事実に対して、 改めて感謝をするのです。
「眼鏡のない上条春菜」を考える
さていきなりですが、定期的に湧き上がる議論のお題として、 「キャラクターのテンプレネタの是非」というものがあります。 そしてこれと似た様な話に「○○でない△△は△△じゃない」というものがあります。
「リボンのない春香は春香じゃない」
「胸のある千早は千早じゃない」
「エビフライ型おさげじゃない律子は律子じゃない」
「もやしが好きじゃないやよいはやよいじゃない」
「雪歩を『萩原さん』と呼ばない千早は千早じゃない」
例を上げるとこう言った類のですね。
中には上の律子とか「姉じゃない亜美」とか、
「アイドルになったきっかけがうたのおねえさんじゃない春香」とか、
公式が直々にやっちゃたようなようなのもあります。
個人的にはこういったのは知識やら愛やらの問題というよりかは
「キャラを何によって認識するか」
の差異の問題ではないかと考えています。
「胸のある千早は千早じゃない」という例をとってみれば、 長髪のあずささんと千早の区別を胸の大きさでしている人がいるとすれば、 「胸のある千早は千早じゃない(というかあずささん)」という結果になります。
「歌こそが千早を千早たらしめる」と考えている人にとってみれば、 「歌に真摯な千早がいれば、胸の大小など些細な問題でしかない」となるでしょう。
「歌しか興味ないのに胸にはコンプレックスを持つちーちゃんかわいい」という人にとってみれば、 やはり「胸のある(胸へのコンプレックスのない)千早は千早じゃない」という結果になります。
まあ結論からすると、 「人それぞれだよね。」 って話に落ち着くわけですが、 ここでもう一つ踏み込んでみましょう。 「個性とされているものをなくすことは個性の消失を意味するのか否や」
うん。自分でわけわかりません。
なぜなら先日インフルエンザで高熱出している中で考えた話だからです。
でもせっかくのblogの更新ネタなんで、ちょっとグダグダと書いてみようと思いますのでよければお付き合いください。
あと、別にSSを書くわけではなく、大仰な分析をするわけでもなく、完全な思考のお遊びである点は予めご了承の程。
要は「○○じゃない△△は△△じゃない」に対して、
「□□な△△も公式であるよ」って言うカタチだけじゃなくて
「○○に基づいた○○じゃない△△」を提示するカタチを考えよう的な感じで。